魂からデトックス★NYC発スピリチュアルSPA -3ページ目

魂からデトックス★NYC発スピリチュアルSPA

セレブ御用達NYと東京在住女性アロマテラピストによるスピリチュアル鑑定とヒーリング

もうかれこれ生きていて多分5000人以上の人にであってる。いや・・・覚えてる人だけでという感じだからもっとだろう。


アロマセラピーのサロンと教育やパーティーの仕事でご縁があっていろんな人にであってきた。


現在の状況では日本に住んでいる人は私と直接出会う確立っていうのは結構難しいと思う。


なぜなら、海外に住んでいるからだ。


でも、「中山潤に本当にあいたい!!」って思った人は、アロマセラピーのトリートメントを予約してわざわざはるばる日本から会いにきてくれるのだ。


本当にありがたいことである。


これも「ご縁」だとおもう。


さて、今日はこの「縁」の深さを知る方法についてです。


長年連れ添った御主人様や奥様との縁・・・・・・

息子や娘との縁・お母様やお父様との縁・・・・・・・

彼女や彼氏との縁・・・・・・・・・・・・・

いつもお世話になるお医者様や習い事の先生との縁・・・・・・・・・・・・

・・・・・・

親友との縁・・・・・・・

ペットとの縁・・・・・

近所の嫌な奥様との縁なんてのもあります。


世の中にはいろんな縁がありますね。


この縁の深さを知る方法ってあるんです。


コレばかりがすべてではないですけど、簡単に知ることができる。


もし上記の人が、「明日死んでしまった!」としたら、あなたはどんな思いをしますか?


一人ずつイメージしてください!


涙が出ちゃいそうな人や胸が張り裂けそうな人ほど縁が深い人なのです。


ゆっくりと目をつぶって考えてください。 もう涙が出てきたでしょう?  


今日からは、もっともっとその方達を大切にしてくださいね!


そしてあなたは知らず知らずの内にその人達に、意地悪やないがしろにしていた事はありませんか?


その方達は、あなたの愛を待っているのかも、知れませんよ?


あなたが愛を与えないから、その方達も愛を感じていないし、あなたに愛を与えてくれないのですよ!


今の内にもう1度あなたの素晴らしい愛を与えてくださいね!


来世ではもう会えないかも知れませんし、


今世こそ!もっともっと仲良く楽しく生きてくださいね!


今のこの人生は、1回きりですよ!


この世は、全ての人に愛(光)を与える事こそが全ての方の業ですよ!!


強運道―御縁と人徳の法則/清水 克衛
¥1,575
Amazon.co.jp

ノブリスオブリージュって何だろうと調べていたらでてきた良い言葉。

田坂広志さん主催の起業フォーラムのもようが書いてあった。

そこに参加した人が心にジーンと響いたことばです。


成功するだけでなく、人々に良い影響を与えるような人徳のある人間になりたいものです。

また、日本人に生まれ日本で育ったことを誇りに思います。

貧富の差が激しいニューヨークでは、いろいろな意味でカルチャーショックで考えさせられることも多くて。

そしてこの国ほどお金がものを言う国も無いと思う。

成金の国だ。

これは皮膚の色で完全に差別されるヨーロッパと違い、まだ有色人種にもチャンスはあるということ。

ある黒人のセレブの友達がいった。

「アメリカは色は関係ない。お金があるかどうかが問題なんだ」

金さえあれば人も殺せるのがアメリカ。クロをしろに変えることもできる。

金があるからこそ人種差別を受けなくてすむこともある。

お金を払えば安全も保障される。

なんでも金で解決できるのがあからさまにわかる。


厳しい国なので本来の目的を見失ってしまいそうになるのだけれど、この言葉を思い出して、人間的にもすばらしい人になりたい。



①「その人の生きた意味・価値は、その人が人生を終えたときではなく、その人にご縁をもらった人々の棺が閉じたときに決まる」



②「志と野心の違い。野心とは、己一代で何かをなしとげようとする心。 志とは、己一代ではなしとげられないほど大きなことを次の世代へ託すための祈り」



③「命は、いつか必ず終わる。一度しか訪れず、またいつ終わるかは誰にもわからない。そのような命を享けた人間にとって、使命とは、『命を使』って成し遂げるべきことである。また志を語る意味とは、この瞬間を生ききるためにある」



④「日本に生まれたこと自体が世界的にみれば経済的エリートの証であり、ノブリスオブリージュ(高貴な人が自覚する義務)を意識すべき。同時に、『義務を自覚する人々の高貴さ』もまた真実。」


下は田坂さんの著書です。


人生の成功とは何か 最期の一瞬に問われるもの/田坂 広志
¥1,260
Amazon.co.jp

ガイアの思想―地球・人間・社会の未来を拓く/田坂 広志
¥2,520
Amazon.co.jp

こちらもあるサイトからの抜粋です。落ちこんだときに元気がでるかもね。


前回でも触れたように、私は「思いやり」に、とても敏感な人でした。
「思いやり至上主義」だったと言ってもいいでしょう。
大切なことの優先順位の一番が、「思いやり」だったのです。
だから「思いやり」よりも、「こだわりやプライド」を優先する人が信じられませんでした。
ただし…私がいつも相手に対して思いやりを持てていたかというと、
…全くそうではなかったと思います。
また、どんな行動をもって「思いやり」と思うのかは、
人によって全然違うのだということも、解っていませんでした。

ところで、人が相手を拒絶する時、NOと言う時には、
いろいろなパターンがありますよね。
相手に事情があって断る場合や、
もうこちらに熱意や愛情がもてなくなった場合は、
相手の言葉から、「悪いとは思うけれど…」という
思いやりのニュアンスが感じられます。
この場合は、私なら「仕方ないけど…OK」だと思うのです。
けれど「こだわりやプライド」を優先する人からは、
そういうニュアンスはあまりなく、急にそっけなくされたりします。
つまり、その人達は一般的に、相手への思いやりを表現することよりも
自分のこだわりを大切にしていることが多いのです。
(例外もあります)

でも、これは安易に責めるべきことではない気がします。
前回も書いたように、その背景には双方の複雑な過去があるからです。
また、思いやりを示してもらえなかったのは、
こちらの責任であることも、十分に考えられます。
一方的に責める前に、自分の言動に原因がなかったかを、
振り返る必要があると思います。
 (相手の事情や予定を、きちんと把握していなかったり、
  誠実に丁寧に対応していなかった…など)

また、よく考えると私は「思いやりが何よりも大切」という
「こだわり」をもっていたのです。
だから人の「こだわり」を、間違っていると否定するのは、変なお話ですよね。
確かに人間的には、思いやりを一番にする人のほうが素敵だと思います。
ただ、それは価値観や優先順位の違いですよね。
またどんな人でも、常に思いやりを一番に持ってくるのは至難の技です。

私は、どんな人生も支配や強制ではなく、
自由意志で選ぶことに、意味があると思っています。
人はみんな、自由に生きていいのです。
ただし先ほどの原因のように、
「自分がしたことと、しなかったこと」の責任(結果)は、
やがて自然に…自分で負うことになります。
「自分が苦しい時に、助けてもらえない。
嬉しいことも分かち合えない」という結果です…。
良い悪いという意味づけよりも、人生には
シンプルな「原因と結果」があるのだと思います。
人間関係では、誠実にやるべきことをやっていなかった場合、
大抵双方が、この結果を負うことになります。
これを繰り返していると、自分の力を信じられなくなっていきます。
自信を失ってしまうのです。
誠実さは、自分の自信を守るためにもあるのです。

私を含め、これを解決するには、
人に指図や強制されることなく、
「自分の自由意思で、自分の行動を見直す」という
素直で謙虚な気持ちが、必要になってくると思うのです。
どんなことも罪悪感や義務感で動くのではなく、
自分でしたいから、そうするのでなければ意味がないのです。
これが結果的に、人に依存するのではない
「自分で自分を助ける方法」になるのかもしれません。


             **********

少しお話がそれますが…「こだわり」に関連して、
以前にあった私の体験から、ひとつ書きたいことがあります。
このお話は、みなさんに「私の考え方と在り方」を
ひとつの参考にしていただきたいと思うものであり、
私信や自己弁護を目的としたメッセージではありませんので、
どうぞ、ご理解ください。
いやな人は、読み飛ばしちゃってください。
(登場人物も、お友達や身近な人とは関係ありません)

みなさんもお気づきのように私の言葉は、
説明が多く、とてもくどいです。
それは過去に、説明責任を果たさず、相手を不安にさせたり、
たびたび誤解とトラブルが発生したことを、教訓としているからです。
今では、「できるだけ誤解を避け、正確な意味を伝えたい」という
大きな目的のために、「意識的に」そうしているのです。
それでも、まれに、…苦しさのあまり
ネガティブな感情でいっぱいになっている人からは、
…私の言葉の意味を、決めつけられてしまう事があります。

…「あなたのその言葉は、自分に有利に持っていくための心理操作でしょう?
隠そうとしても分かるのよ。 私の何を利用したいの?」というふうに…。
(ご存知だと思いますが、心理操作というのは、
下心をもって褒めたり、遠まわしに脅したり同情を誘うなどして、
相手を思い通りに操ることを言います)

本当に素直な気持ちで、褒めても励ましても、
それは下心があるようにしか思われず、
こちらの現状や気持ちという「事実」を伝えただけでも、
「遠まわしに私を責めるんだ。私のせいだと言いたいのね?」と、
びっくりするくらい、曲解されてしまう…。
こんなふうに人が何を言っても、つい裏の意味を読み取ろうとしてしまうのです。
それはきっと過去に、とてもいやな思いをしているので、
つい、そうなってしまうのですよね…。
ただ人を信じない人は、これが普通のことになっているので、
自分では、ほとんど気づかないものなのです。
だから、誰といても人間関係に、きしみが出てしまうのです。
人の言うことが、当てつけや、遠まわしな嫌味に思えたり、
偉そうに指図され、バカにされている気がするという人。
または、頻繁にプレッシャーをかけられているように感じたり、
何かを見抜いた気持ちになる人は、
…ちょっぴり用心が必要かもしれません。

どんな言葉も、疑いのフィルターをかけて見れば、
「ありがとう」さえも、偽善の言葉に変わってしまいます。
誰に対しても、うがった見方しかできなくなった苦しむ人に…
真実を伝えることの難しさを、感じています。
もちろん私の表現が未熟だから、問題が起こるのですが。

私がどんなに、「ウソは、ついていない」と言っても
このコラムのように、言えば言うほど相手の人には、
「それ自体がウソなんだ。力説しているのが怪しい」と思えるのでしょう…。
でも、たとえ冤罪でも、
「私の真実は私だけが知っていれば、それでいい」と
思うことがあります。
それは胸を張って立っている、
凛とした自分が、心の中にいるからです。

私も、ついうがった見方をして決めつけてしまう事は、あります。
でも、そんな気持ちを持ち続けたまま、
良い人間関係が保てたことは、一度もないと思います。
私は、解ってくれない人を、押さえつけるようにして解らせることは
その人の、「人としての尊厳と自由」を奪うことだと思っています。
だから私を完璧なほどに理解してもらわなくても、…もういいのです。
たとえ真実が証明できなくても。

私は私の真実を、純粋な目で、まっすぐに見ようとしてくれる人と
共に歩みたいと思っています。
…ただし、入り口にある「見えない扉」が、閉ざされることもないと思います。
私を信じて、見ようとする人には見える扉です。
私もまた、人を信じる、少女のような輝く瞳をもつ人で
ありたいと思っています。

疑いの目で見てしまう人にも、おそらく過去のつらい経験から来る、
譲れない「こだわり」があるのでしょう。
「こだわり」は自分を支える、大切なものです。
ただ、こだわりすぎると必ずと言っていいほど、トラブルが発生すると思います。
私の「完璧主義、思いやり至上主義」がそうであるように。
自分のこだわりが何なのか、はっきりさせておくことが大切です。
そしてそれに、こだわりすぎて、自分が苦しむ結果になっていないか、
きちんと分析しておかないといけないと思うのです。

私も、自分のこだわりや正しさに「こだわる」よりも、
みんなと平和に優しい気持ちで過ごすことのほうを選びたい…と
思うようになりました。
「正しさ」を主張しすぎたり、頑固に意地を張ってしまっても、
誰一人として、穏やかであったかい、
ふんわりした気持ちにはなれないのでした…。
誰しもが、「ほんとは仲良くしたい」そう思っているはずなのに。


            **********

あっ…お話がそれてしまったので、戻しましょうね。
「完璧主義と思いやり」についてでしたね。
えっと…

完璧主義の人が傷つくとき…
それは相手を、「いつもいつも、思いやりをもって行動できる人」

だと思い込んでいるところに、問題があるのです。
少なくとも私はそうでした…。 
気がついていませんでしたが。
でも、自分のことに置き換えた時、それがいかに
無茶苦茶な要求であったかが解ったのです。

 「私は、いつもいつも礼儀正しく、思いやりをもって行動できているだろうか?」
 「人の要望に、NOと言ったことは一度もないだろうか?」
 「傷つけると解っていても、断らざるをえなかった時は、一度もなかっただろうか?」

答えは…NOでした。
体調が悪かった時、他の問題で悩んでいた時、
何かに夢中になっていた時…。
いつもいつも思いやりをもって行動できていたとは、
とてもとても、恥ずかしくて言えません。

「私は人を傷つけたことは一度もない」と胸を張って言える人は、
これからも人に対して、「完璧な優しさ」を求めても構いません。
そして、これから先の長い人生でも、「絶対に人に、ひどいことはしない」、
「思いやりを忘れることは一生ない」と想像できる人は、
人が優しくしてくれないことを責めてもいいと思います。

さて、あなたは完璧主義でしょうか…?
それとも思いやり至上主義でしょうか?
今までで深く傷ついた時、怒った時、
相手に「完璧な優しさ」を期待していませんでしたか…?


              **********

            ★【減点法をやめよう!】

これから書くことは、すでに体験的に知っていて
実践しているという方も、たくさんいらっしゃると思いますが、
参考までに読んでみてくださいね☆

たとえるなら完璧主義の人は、自分がテストでは80点だったのに
人には100点を取ることを求めてしまう人なのです。
自分が相手を傷つけていることは、記憶から排除しても
相手が一度でも、こちらを傷つけるようなことをすると、
なかなか許すことができません。
完璧主義の人は、言い換えると、「減点法をする人」なのです。
減点法というのは、とにかく不毛なものです。
それは、先ほども書いたように
「いつもいつも100点を取ることを望んでいる」からです
減点法なので、誰と仲良くなっても、
1回でも「冷たい態度」や「非常識な行動」と
思えるようなことをされたら、ほとんどそこで終わりです。
「この人も、やっぱりだめだった」と言って…。
仮に1、2度は許せても3度目は…ないでしょう。
だから相手がどんな人でも、人間関係が長続きしないのです。
でも人の失敗というのは基本的に、ずっと続くものです。
前回も書きましたが人は同じような失敗をするのが、当たり前だからです。

減点法を使っている限り…残念ながら一生幸せにはなれないでしょう。
それは自分に対しても、いつも減点法を使って
「また今日も、うまくいかなかった」と思うからです。
人が優しくないと…いつもがっかりしているからです。
うまくいかなかったことばかりに注目していたら、
どんなに頑張っていても、やる気も自信も育つことはないでしょう。
また、相手のあげ足を取るクセがつくと、
相手が本来持っている、「大きな優しさ」と触れ合うことができなくなるのです。

私達は、小さい頃から学校でテストを受けて育ったため、
加点法で、物事を見られる人は、とても少ないのです。
テストで仮に80点を取っても、「20点失敗していなければ…」と、常に減点法です。
80点を取ったことは、自分でも認めないのです。
でも本当は、0点を基準にすれば、80点も取れているのですよね。
だから人に対しても、「あの人は今日、20点失敗した」と思うのではなくて
「確かに失敗したけれど、それでも80点も取れている」というように
考えるクセをつけてほしいのです。
これが仮に、30点でもいいのです。
全く何にもないのではなく、30点もあると思えると
人間関係は、とてもスムーズに運ぶようになります。

相手が、できないことに文句を言うのではなく、
できていること、過去にしてくれたことに感謝するのです。
「減点法」から「加点法」に切り換えるのです。

時々声をかけてくれること、見守ってくれること、
そばにいてくれること、お世話をしてくれること…。

人がしてくれることで、当たり前のことなんて、どこにもないのです。
これは、そばにいる家族を思い出すと、良い例になるかもしれません。
(一人暮らしの方、海外にお住まいの方は、お世話になっている方で)

私のことでもありますが、今自分の身近にいる人がしてくれていること、
過去にしてくれたことを、真剣に考えたことがある人は、
どのくらいいるでしょうか…?
もしもその人が、明日ふっ…と何処かへ消えてしまったとしても、
みなさんは、全く困らないでしょうか…?
伝えておきたかったことは、何もないでしょうか?


私の周りにも、さりげなく時に力強く、支えてくれる人達がいます。
…いつも、ありがとう☆

それでも、
「う~ん そんなこと言われても、言うは易し行うは難しだから…」という人は、
これからご紹介する方法で、自分自身にも、加点法を使ってみてくださいね。
以前、うちの常連さんでも、
「自分の行動を自分で評価していく」という方法を
考えて実践されている方がいましたが、
たぶん基本的には同じだと思います。(ご報告ありがとうございました)
その方も効果があったとおっしゃっていたので、
結構効くのではないかと思います。
これから説明する加点法は、特に夜寝る前が、おすすめです。
ちなみに私がご紹介する方法では、なるべく小さなこと、
人から見ると、「やって当たり前なこと」に焦点を当てて、
自分を褒めてあげてほしいのです。

これには理由があります。
人が褒めてくれるような大きなことでは、あまり意味がないのです。
それは、心の中で人と比較するクセを強調してしまうからです。
誰かと比べて、立派だから褒めるという方法は、
なるべくしないほうがいいのです。
それよりも、1ヶ月前の自分より良くなったと思うところや、
本当に、ささやかなことがいいのです。

では、具体的な褒め方を書いてみますね。
以下は私の一日ではありませんが、参考にしてみてくださいね。
特に終わりの承認する言葉が大事なのです。

「えっと…今日は何をしたかなぁ…?」と考えて、
そうそう、
 
 「TVや新聞で必要な情報を集めた…よしよし」
 「休んでいた塾に行った…えらいえらい」
 「本を読んだ…うんうん少し賢くなったかも」
 「子供をぎゅっと抱きしめた…よしよし」
 「綺麗にお掃除をした…おつかれさま」
 「自分のどこが悪かったのかに気づいた…頑張ったね」
 「掲示板にカキコした…勇気出したね」
 「予定をきちんとやり終えた…おつかれさま」
 「体を休めるために、のんびりした…OKOK」
 「昔のことを振り返って反省した…うんうん頑張ったね」
  最後に、「今日もいろんな事したなぁ☆ よしよし、お疲れさま」 で終了です。

この、人からは「やって当たり前」と思われる小さなことに
焦点を当てて、自分を褒めることで、
人から何かをしてもらった時に、それが小さなことであっても
ありがたいと思えるようになるのです。
義務感から感謝するのではなく、素直な心で「ありがとう」と思えるのです。
私も本格的に始めたのは、わりと最近ですが、
実際にやってみると、「私って意外といろんなことしてたのね…」と
自分のことを、少し認められるようになった気がします。
また人がしてくれていたことにも、以前より深く感謝できるようになったと思います。
みなさんも慣れてきたら、次は「今日、人がしてくれたこと」に変えて
褒めてみてくださいね。

この「自分で自分を褒める方法」が最終的には
「自分を好きになること」、「自信」、「人を尊重する気持ち」に
繋がるのだと思いました。
人と比べて、勝った負けたという方法は、
大抵、他人からの評価が基準になるため流動的で、
本物の自信を育てることには、ならないのです。
やはり小さなことを粗末にする人には、大きなこともできない気がします。
「今、自分にできること」から始め、
自分の足で階段を、ひとつひとつ上っていきたいと思います。

なお、「自分で自分を褒めるのは、どうもピンと来ない」という人は、
好きなアーティストや、アニメのキャラクタなどを想像して、
褒めてもらうのもいいと思います☆
視覚的な癒し効果も兼ねるので、疲れている人には特におすすめです。

それでも完璧主義が直らず、人の思いやりのない行動やマナー違反が
どうしても許せないという人がいたら
今日からあなたが人をがっかりさせたり、問題を起こさないようにして
3ヶ月だけ、過ごしてみてくださいね。
(だからといって人と交流を持たなかったり、話さないのは意味がありませんが)
そして3ヵ月後にもう一度、このコラムを読んでみてくださいね。
果たしてあなたは、何の問題もなく過ごせたでしょうか…?
誰にも不愉快な思いをさせなかったと言いきれるでしょうか…?
そう…あなたが人に望んでいたことが、
どんなに無謀なことだったかが解るはずです。

なお、これは何でも許せばいいという意味ではなく、
許せなくて苦しんでいる人のための方法です。


今日からみなさんも、「減点法」から「加点法」に切り替えてみませんか?
それだけで、落ち込む回数が減ることを、少しだけお約束しますよ♪
またできるだけ毎日、「自分で自分を褒める」ことができれば、
人を批判する気持ちも、やわらいでいきます。
その平和な気持ちから、自分の手で未来を創り上げていく勇気と、
やる気が生まれるのではないかと思います。

長くいろいろと書いてきましたが、私の考え方や私自身に、
なんだか違和感を感じるという人は、
決して無理をしないでくださいね。
人は誰でも、何度でも…拒絶する自由があるのですから。
人の言いなりにならず、自分の意思で考えること、
それは、とても大切なことだと思います。
住む場所や考え方が違っても、それぞれの活動域で、共に頑張り、
それぞれの二度とない時を、力強く前に進んでいけたら、
私は、それだけで素敵だと思うのです。


安心感のある、柔らかい温もりのような人との繋がり…
それは手を伸ばせば、いつもそばにあるのに、
今は、ちょっと見えなくなっているだけ…なのかもしれない。
…たとえ今は、暗闇で独り立ち尽くしているように思えても。

…人を信じられない震える自分ではなく、
緊張しきった毎日でもなく…
爽やかで堂々とした自分と一緒に、歩くことができたら…
もう怖いものはないはず。
いえ…私も含めて、変わりたいと思う人なら、きっとできるよね…☆
そして気がついたら…
完璧でなくてもいい、失敗しても許される
穏やかな人間関係が、そばにあるのではないでしょうか。


さて、みなさんは今、
これからどんな人になっていきたいと思っていますか…?

あるサイトからの抜粋です。落ち込んだときに読むと元気が出てきます。




  

私は、トラブルが起きて落ち込むたびに、
「今回の私はいったい何が、いけなかったのだろう…?」と考えるようにしていました。

「元気になる方法」で、かなり元気になったとはいえ、
自分の核心に触れるようなことに関しては、まだ見事に動揺していました。
…一番大事なところが見えていない…そんな感じでした。
そこで、「私が冷静に対処できるものと、
そうでないものの違いは、一体なんだろう?」
と考えたとき、それは突然…ひらめきました!
最近のいくつかの動揺も、
 あの日の立ち直れないほどのトラウマも
 『すべては私の「完璧主義・思いやり至上主義」 が原因だ』と!


私は、自分のことを最近まで完璧主義だと思っていませんでした。
ちょっと真面目とか、几帳面というくらいにしか。
完璧主義の人は、自分のことをあまり完璧主義だとは思っていません。
まるでダジャレのようですが、完璧に完璧主義ではないからです(笑)
おそらく落ち込みやすい人のほとんどは、完璧主義の要素を
かなり持っていると言ってもいいでしょう。

それでも私の完璧主義のクセは、3年前の半分以下には減っているのです(^-^;)
たとえば以前は、ネット上の誤字脱字が、気になってしかたありませんでした。
私は、自分が書き込みなどで、一回でも誤変換しようものなら、
もう恥ずかしくてたまりませんでした。
それは周りの人に「頭のいい人」だと思われていたいからでした。

でもこのサイトを始めて、メールやレスなどをたくさん書くようになってから、
完璧主義をやめるように努力しました。
なぜなら、誤変換を気にして長文で書いたものを何度も読み返していたら
時間がいくらあっても足りない…と気付いたからです。
そこで自分に「誤変換も、誤字脱字も、たまにはいいじゃない♪」…と、失敗を許したのです。
そうしたら、以前は気になっていた人の誤字脱字も、全く気にならなくなりました。
「頭のいい人」と思われるのをやめて、 私は、「ちょっと大らかな人」となることを
選択したのです(笑) d('-^o)

学校の成績が優秀だった人ほど、誤字脱字を許しません。
学校のテストでは、1回でも失敗は失敗であり、減点されるからです。
でもそれは、学生時代の癖が残っているだけです。
確かにあまりにも多いのは、問題がありますが、
たまに間違うくらい、人間だから当たり前のことなのです。
学校の先生や、お仕事でもない限り、
そんな小さなことで、自分や人のあげ足を取るほうが
「人間的に、ずっと恥ずかしいことなのだ」…と私は思うようになりました。

私は、今までにも自己啓発の本などで
「完璧主義をやめよう」という内容を、何度も目にしてきました。
でも自分では、本気でそう思っていないため、結局ひとごとだったのです。
だから本を読んでいても、きちんと自分のものにはしていませんでした。

              **********


       

★【あの人は、どうして解ってくれないの?】


傷つきやすい人、完璧主義の人は、自分では全く気付いていませんが
人に対して、 「ものすごく高い要求」をもっているのだそうです。

(↑岩月謙司さんの著書より)


ちなみにみなさんは、人に対してこんなふうに思ったりしませんか?

 「どうして気持ちを解ってくれないの?」
 「大切な時なのに、なぜ立場を理解してくれないの?」
 「また無視された」
 「どうして、あんなに冷たいことができるのだろう?」

…ん?
 「そんなに高い要求ではないじゃない…」と思ったあなた、
けっこう危険(?)…かもしれません。
完璧主義の人は、自分の能力が高いため(私は違いますが…(^-^;))
他の人も、自分と同じようにしてくれるに違いない、と思っているのです。
自分ができることは、人もできると思っています。
たとえば、理解力が優れている人、知性の高い人は、
自分がわざわざ言わなくても、
相手も察して、気を利かせてくれるものだと思い込んでいます。
他にも、携帯メールを一日何十通も送るような「マメな人」なら、
仲間からのメールが一日なかっただけでも、大騒ぎになります。

また本来は能力が高いにもかかわらず、病気や忙しさのために
思うように生活ができない人も、人に対して高い要求を持っているのです。
 「私は今は、たまたまできないけれど、他の人は時間も
  精神的な安定もあるのだから、できないはずはない」と…。

「私はできないけど、あたなにはしてほしい」と、
とても無茶なことを、当たり前のように考えています。
だから人に対して「どうしてできないの?」、「どうしてしてくれないの?」と
しょっちゅう怒っているのです。
自分は、できないことをすっかり忘れて…。
(はい、私も時々あります…反省(-_-;))

完璧主義の人は、人間がとても不安定な生き物だということを忘れているのです。
一見健康そうで、なんの悩みもなさそうに見える人でも、
頻繁に失敗したり、落ち込んだりしていることを知りません。
そこで私を含む完璧主義の人は、認識を改めることをしなくてはいけないと思うのです。
「人は、できることが当たり前ではなく、できないほうが普通なのだ」、
また「人は、同じ失敗を何度もするものだ」と。
こう思えない限り、ふつふつと沸き起こる怒りや不安が、
一生消えることはありません。

みなさんは、学校や職場などで、
「相手に何度も注意しなくてはいけなくて、イライラする」
といった経験は、ありませんか?
ちなみに私も最近知ったのですが、ある研究者によると
人はひとつのことを、7回以上言われないと覚えないのだそうです。
会社などでは、「社員は7回言われないと覚えない」として有名で、
それに合わせた教育プランが作られているところもあるようです。
7回…って、思ったより多い気がしませんか?

誰だって、嫌われるばかりの注意はしたくないですし、
いちいち指摘される方も、つらいですよね…。
ただ、この7回という数字を知っておけば、完璧主義に陥らず
「1、2回失敗しても、少ない方よね」と
相手を寛容な目で、見ることができるようになると思うのです。
ただしこれを自分への言い訳にして、開き直ることはいけませんね…(^-^;)
失敗したほうは、「もう一度相手に言わせる前に、自主的に気をつけよう」
という気持ちをもつことが大切ですよね。
(あぁ 自分の耳が痛い…)

              **********


      ★【人は何故、平気で「ひどいこと」をするのか?】


ところで、通常の人間関係で人が一番落ち込むことといえば
それは親しい人にNOと言われたり、拒絶された時ですよね?
やっと口にしたお願いを断られた時、無視された時、去られた時…。

そんな時、人は思います。
「どうして、そんなに思いやりのないことができるの…?
私は、そこまでされるほど極悪非道なことをしていたの…?」
そうですよね…。
一生懸命がんばっていたのに…突然冷たくされて、
悲しみの底に突き落とされる。
ただ悲しくて、何も見えなくなってしまう。

でも、少し待ってくださいね…
そのお相手は、いつもいつもあなたに冷たいわけではないですよね?
人が突然冷たくするのには、必ず理由があります。
「忙しくて、体調が悪くて、どうしてもできなかった」
「その人のこだわりやプライドに反することで、どうしても
YESとは言えなかった」など…。

理由が前者の場合、たいていの人は理由が解った時点で
「それでは仕方ないかも…」と思うことができます。
問題になるのは、後者の場合ですね。
相手のこだわりやプライドというのは、ふだんはっきりと言葉にされることがないため
とても解りにくく、きちんと把握している人は少ないのです。
そして、解らなくて不安になった人は、自分の物差しで
「冷たくされた理由」を勝手に考えてしまうのです。
「もう嫌われてしまったんだ」、「私のことを大切に思っていないんだ」などと…。
そして心を閉ざして、問題を悪化させていきます。
これは私もよくやってしまう失敗なのですが…、
このように人の気持ちを決めつけることは、とても失礼なことだと思います。
また推測は推測でしかなく、真実ではありませんよね。
「人の気持ちは、相手に聞いてみるまでは解らないのだ」と
しっかり覚えておくことが必要ですね。

ところでみなさんは、人にお願いをした場合、
相手が「YES」と言ってくれる確率は、どのくらいだと思っていますか?
50%…くらいでしょうか?
実は私たちが思っているほど、確率は高くないのです。
人が、あなたの希望を叶えてくれる確率は、
普通で、25%以下だと思っていてください。

タイミングや気分など、いろいろな場合を考えると、実際は、このくらいなのです。
「相手は解ってくれるだろう」という「期待」にも、同じことが言えます。
しかし傷つきやすい人、完璧主義の人は、
一回でも断られたり、うまくいかなかったりすると、すごいショックを受けます。
私もそうでした…。
もう全てが、だめだと思ってしまうのです。
相手も否定するし、YESと言ってもらえなかった自分も全否定します。
だから、ひどく傷ついてしまうのです。
でも現実は、たとえ相手が親友でも、長いお付き合いの人でも
NOと言われることは、結構あるのです。
場合によっては、それが裏切りと思えたり、
やむをえない別れになることもあるでしょう…。

でも人には、どうしても譲れないプライドやこだわり、事情があるのです。
プライドやこだわりとは、その人のアイデンティティ(この場合は独自性)を
支えるものなので、たとえどんなに好きでも、仲良しでも譲れない場合があるのです。
もしも無理して譲ってしまったら、その人は今までの自分を否定することになり
自信を失い、生きていけなくなるからです。
だからNOと言われても、それはあなたに対する気持ちとは、
まったく別のものなのです。

また、そのこだわりの背景には、トラウマが元になっている
思い込みや、決めつける気持ちがあることも多いのです。

 「人は信用できない、いつも人に見捨てられる」
 「男性は女性を召使いのように軽く扱う」
 「女性は男性をバカにしている」
 「誰かが親のように指図したりコントロールしたりする」…など。

このような気持ちが根底にあり、そこからくる過剰反応が、
トラブルを起こしてしまうことがあるのです。
それは、
 
 「過去に、誰かに支配され自由を奪われた経験がある」
 「何かを強要され続けたことがある」
 「裏切られた経験、誤解された経験」からの過剰防衛…などが考えられます。

今まで、みなさんがつい怒ってしまったことでも、
以前、他の誰かに「同じようなことをされていた」ための
過剰反応だった、ということはありませんか?

ところで、もし相手の理由がわかったとしても、やはり冷たくされた時には、
「私は、あの人のこだわりよりも劣る存在なの…?」
という疑問が浮かびますよね?
大変厳しい言い方になりますが…実は、それは当たり前のことなのです。
それは人が自分の命や独自性を最優先するように、
遺伝子にプログラムされているからです。
先ほども書いたように、
「こだわりは、すなわち、その人の命」なのです。
思いやりよりも、こだわりが優先されるのは、このためです。

また「思いやりよりも、こだわりが優先されるのは、よくあることだ」と
知っておいたほうがいいでしょう。
どんなに愛していても大切に思っていても、
悲しいけれど…人は時々、非情なことをしてしまうのです…。
この大原則をしっかり覚えておかないと、たびたび傷つくことになります。

このことは、人への思いやりという視点で考えると、
とても寂しい気持ちになりますよね…。
だけど、相手が長年かけて築き上げてきた、こだわりを理解すること、
そして相手に聞くことができない場合なら
「それを察する気持ち」を持つということが、大事になってくると思うのです。
それが自分の中の「思いやり至上主義」という偏った考えを、
改めることに繋がるのです。
そして「人に完璧を求めない自分」、「傷つきにくい自分」、
「本当の意味での思いやりが解る自分」を育てることになると思うのです。
私は最近、人の言いたくても言えない心を
「察する」という気持ちを忘れていたように思います。
これでは、みなさんに偉そうなことを言っている場合ではありません…ね。

子供のときは鵜呑みにしていたんだけどTVがやらせだってのは、TVに出演したときにわかった。

とくにひどいのが、バラエティー番組。

もう、脚本ができていて、指示されたとおりにうごいたり、しゃべったりする。


TVを見ていると、うまく編集されていてイカにも偶然いろんな出来事が起こるようになってるような感じだけど、全部演出。

素人がでてるのなんか、ノンフィクションみたいだけど、あれ、全部しくまれてるんだよね。


ようするにTVドラマの女優さんになった感じ。


そんなの見て鵜呑みにしていたし、TVの影響力ってすごいよね。


日本の国民があれを見て洗脳されてるんだから。


それと日本のマスコミ、うそが多い。真実を伝えていない。

もちろんそれは日本だけじゃなくて、アメリカもひどいけどね。


なにを信じていいのかわからなくなってくる。


とくに映像と音声のダブルパンチはかなり洗脳されそうだし。


ほんとに。


だから、私はTVはほとんど見ない。


必要な情報はネットや口コミでさがしている。



あるある元関係者「いつかこうなると思った」
 「納豆でやせる」と実験データを捏造したことが発覚し、打ち切りが決定した『発掘!あるある大事典2』(関西テレビ制作)に、新たな捏造が指摘されている.......... ≪続きを読む≫


私も去年の10月から獣鳥の肉をきっぱりやめた。


理由は、もっと早く成功するのにパワーをつけたいからというのと、もっと運を良くして成功への道を加速させたいから。


ダイエットや動物愛護とうよりは、スピリチュアル的な意味のほうが強い。


願掛けみたいな。


大好きだった肉をきっぱりやめる。


「スタミナがなくなる」というのは真っ赤な嘘。



食べないほうが体が軽くて頭も冴える!!!!


それに太りにくくなると思う。

私はこの新谷博士の食事療法を参考にしている。


自分の両親にぜひ勧めたい本だ。

いままでの栄養学の常識は日本人にはあっていなかったみたいだ。

元看護婦の母親でさえあの頃はずっと間違った栄養学を実践してたんだからね。

だから私は子供のときからずっと肥満に悩まされてきたのだ。

学校給食から間違っていたのだから。


病気にならない生き方 -ミラクル・エンザイムが寿命を決める-/新谷 弘実
¥1,680
Amazon.co.jp

病気にならない生き方 2 実践編 (2)/新谷 弘実
¥1,680
Amazon.co.jp

何人もいろんなセレブにあってると、黒人のヒップホップの歌手もベジタリアンがいるのだ。

黒人といえばいろんなルーツのひとがいるけど、ジャマイカンのラスタマンと呼ばれるレゲーのミュージシャンたちはベジタリアン。

でもアメリカのヒップホップ系だったらゲトーの人が多いので、ジャンクのハンバーガーとかチキンとか太るものばかり食べてそうなんだけど、みんなやはり体重とかきにするんだろうね。

それに、良い曲をつくるのにスピリチュアルになるのかもね。


とにかく、マドンナをはじめ、結構ミュージシャン系のセレブは肉を食べません。

女優さんも体重管理とかアンチエイジングのために肉を食べない人多いと思う。


だから、もしこうゆう人たちと関わりたいのなら、ベジタリアンになって、タバコもきっぱりやめることが第一条件でしょうね。自分のためにもなるしね。



こちら野口さんのブログの抜粋です。

こんな理由でアメリカではLOHASがはやってるんですね。



LOHASという言葉は、Lifestyle Of Health And Sustainability の頭文
字だそうです。
「自分の健康や幸せと同時に、地球環境や周りの人の幸せも考えて行動
するライフスタイル」
のことです。

このLOHAS,日経MJの今年上期の“ヒット商品番付け”で、なんと
西の大関になっています。
(ちなみに東の大関は“愛知万博”)



アメリカでは、すでに成人人口の約3割(5000万人以上)がLOHAS
消費者と言われていますが、ポール・レイ博士によれば、この10年で
人口の半分までいく可能性があるとのこと。

また、ヨーロッパでは、すでに8000万人ものLOHAS消費者がいます。



日本では、LOHASという言葉の認知度は現在約15%と、アメリカや
ヨーロッパから見ると、まだ遅れています。
しかし、日本におけるLOHAS市場の規模は、20兆円といわれていま
す。

今後、ますます広がっていくものと思われます。



LOHAS消費者の傾向としては、次の5つが挙げられます。

1.持続可能な経済の実現を願っている
   (風力発電などの代替エネルギー、緑化を助ける商品、など)

2.健康的なライフスタイルを送っている
   (オーガニック&自然食品、など)

3.予防医学・代替医療を心がけている
   (自然治療、東洋医学、ホリスティック医学、など)

4.自己啓発のために投資する
   (精神性向上のための本、自己実現、人間関係への時間投資、心と
    体とスピリチュアルなもののバランス、など)

5.エコ・ライフスタイル
   (環境にやさしい商品、など)



「ずいぶん、幅広い特徴を持っているんだな」とか「自己啓発とエコ・ラ
イフ、どんな関係があるの?」とか、疑問に思った方もいるかもしれませ
んね。

この5つの項目は、深くつながっているんです。



LOHASのベースにある世界観は、個人と全体がつながっているという
考え方です。

ですから、「自分さえ健康で幸せになればいい」という考え方とは違いま
す。
また、「自分を犠牲にして、社会のために尽くす」という考え方とも違い
ます。



『自分の健康や幸せを追求するとともに、全体(社会)の幸せをも同時に
考える』のです。

以前、
「真の幸せ、最高の幸せとは?」という記事 で、宮沢賢治の次の言葉
を紹介しました。
LOHASに通じるものがあります。

「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」



これまでの「効率優先、便利さ優先の経済」によって、地球温暖化をはじ
めとする深刻な環境問題が生じました。

また、経済的豊かさのみを優先した結果、「お金持ちにはなったけど幸せで
はない」という人もたくさん出てきました。



こういった過去の時代の流れに対する危機感の中で、このLOHASが広
がっているように思います。

本当の幸せ、本当の自己実現を世の中が求めているんだと思います。



「世の中全体が、幸せ成功力を高めようとしている時代」
こう考えると、ワクワクしてきます!

日本をロハスに変える30の方法 ― BUSINESS LOHAS/ローハスクラブ
¥1,500
Amazon.co.jp

anemone (アネモネ) 2006年 07月号 [雑誌]
¥870
Amazon.co.jp

MY LOHAS (マイ ロハス) 2007年 01月号 [雑誌]
¥600
Amazon.co.jp


佳川 奈未さんのブログからの抜粋です。

私も経験あるな~って共感。自分のカンて正しい!

「嫌悪するものに近寄ると後悔が発生する法則」

どうしてだか理由はわからないけれど
その人の顔を見るだけで(その人に逢うだけで)
なんだかものすごい嫌悪感が走って
いつも気分が悪くなったりするということはありませんか?

その人がどんなにニコニコ笑って近寄ってきていても
口では とてもいいことを言ってくれているのだとしても
それでも 嫌悪感で 吐き気がするというような場合はありませんか?

それらは すべて
前世でのかかわりに原因があるものなのです

魂には いままでのいくつもの人生の記憶が刻まれていて
その嫌悪を覚えた原因になる人物と
今世 出逢ってしまったとした場合
昔のイヤな記憶が魂に戻るので
そんなふうに 理由のない嫌悪感が走るということがあるのです

その嫌悪は、今世では 
「この人物には注意してつきあいなさい」という
意味だったりサインだったりします

なので、その人を嫌悪するのが自分でわかったら
本当は 深くかかわらないにこしたことはないのです

それを自分から わざわざ近づいていったり 深入りしようとすると
後悔する何かが起こったり
「なんで こんな人と関わってしまったのだろう」と
泣きたくなることに遭遇したりしてしまうのです

嫌悪は 抵抗であり
黄色の信号!!

たとえば それを無視して
あるいはこちらが仏のような情を持って
そういう嫌悪ある人とでも仲良くしようと試みると
どうなるか・・・

やはり それは 
とんでもないような 信じられないようなしうちをされて
驚いてしまうのです!!

本当に 魂は あなたの意思が意識上で知らないことも
なんでもよく知っていて
あらかじめ 災いを避けて通れるように
教えてくれているのです

           ミラクルハッピー佳川 奈未

前世でこちらに対してひどいことをした人は 
本来は今世では こちらを助けるようにしようとして 
魂は生まれるはずなのです。が、
その魂がまだ未熟で 完全にその役割を思い出していないとき、
つまり“前はひどいことをしたから今世ではなんとかこの人を助けたい!”
ということを思い出せていないと 
その人は また前世と同じ悪いことを こちらにしてしまう人になるのです
その魂がまだ未熟なもののままでこちらに近づいてきたとき
こちらには その人に対する嫌悪が起こるのです


さてこちら、奈未さんの著書です。

まさに、私の人生!ってかんじ!

日本のセレブの意味とこっち海外のセレブの意味はちょっとちがいますけれど、この本の「超スーパーセレブ」ってつまり「大金持ち」ってことでしょ?

こちら外国のセレブの意味は「有名人」という意味のほうが強い気がします。

いずれにせよ、成功したいのなら参考になりそうな本ですね。


女が幸せな億万長者になる方法―ツイてる!ハッピー!超スーパーセレブな私になる/佳川 奈未
¥1,365
Amazon.co.jp


成功する女、しない女の習慣/佳川 奈未
¥500
Amazon.co.jp



鏡の法則の著者、野口先生のブログからの抜粋です。


“ In Tune with the Infinite ”
(日本語訳されたものは、『人生の扉をひらく「万能の鍵」』
としてサンマーク出版から出ています)

ラルフ・ウォルドー・トラインの著書で、あの自動車王ヘンリー・
フォードに次のように言わしめた本です。
「私の成功は、この本のおかげだ」



この本の中で、著者のトラインは次のように語っています。

「人に起こることの原因は、その人の中にある」

「目に見える物質的な世界のものごとの原因は、
 見えない心の世界にある」

「心の引力が現実を引き寄せる」

「恐れれば恐れることが現実になる」



つまり、「私たちの心の状態」つまり「何を思い何を考えているか」
が引力(=原因)となって、人生の出来事を引き寄せるわけですね。

ネガティブなことばかり考え、恐怖心に囚われて生きていると、
恐れることが現実に起きてくる。
「感謝できること」に焦点を合わせ、「ありがたい」という気持ち
で生きていると、ますます「ありがたい」と思える出来事が起きて
くる、というわけです。



この法則は、
「私たちの人生の現実は、私たちの心の中を映し出す鏡である」
と表現することもできます。(=鏡の法則)



この法則を知ると、豊かな人生を実現する秘訣が明解にわかります。

「与える心で生きていると、結果的に自分がたくさん与えられて、
豊かさに恵まれることになる」 ということですね。



“与える心”などという言葉を聞いて、大げさに考えてしまって、
「私のような凡人には、そんな崇高な心はありません」なんてびび
ってしまう人もいるのですが、びびる必要はありません(^_^;

“与える心”っていうのは、
“人の幸せに貢献できることを喜ぶ心”のことで、誰もが本来持っ
ている心です。

人の幸せそうな笑顔を見て、自分も嬉しくなることってありますよ
ね。
あれです(^_^)



「世の中の役に立ちたい」っていうのも“与える心”ですし、
「家族を喜ばせたい」とか「お客さんの役に立ちたい」っていうの
もそうですね。

生活の中で、この“与える気持ち”を存分に味わう機会をたくさん
創れば、豊かさはドンドン増していきます。



そして、志を持ち、わくわくする目標を掲げ、“与える心”で生きて
いますと、その心が強力な磁石(=引力)となって、素敵な出来事
や出会いを引き寄せます。

必要な時に、最適な協力者、アイデア、情報、資金などがめぐって
きますし、絶妙なタイミングで最適な出会いがあります。



シンクロニシティなんかも起きたりしますね。

シンクロニシティとは、あのユング博士が提唱した概念で、
「単なる偶然性を超えた、何かの意味がある『偶然の一致』」のこと。
私は、『必然の一致』などと呼んだりもしてます。




フランク・ジョセフの著書『シンクロニシティ』の中から、シンクロ
ニシティの例も2つくらい紹介しますね。

イギリスの作家レベッカ・ウェストは、小説を書いていて、
次のようなシンクロニシティを体験しています。



女の子が庭でハリネズミを見つける場面を書き終えたレベッカ・
ウェストは、「なんて馬鹿げた話なんだろう」と思いながら、そ
の原稿を破って捨てようとしました。
庭でハリネズミを見つけるなどというのは、あまり現実的では
ないと思えたのです。

彼女が原稿用紙を破ろうとした瞬間に、庭に出ていたメイドが
大声で呼ぶのが聞こえました。



何ごとかと思って窓から顔を出すと、なんと、ハリネズミを
見つけたというのです。

ウェストは、不思議なこともあるものだと思い、その原稿を
そのまま小説に使うことにしたのです。
そして、その小説『ハリエット・ヒューム』は、彼女の代表
作となりました。



この出来事は、ウェストの心の中の何かが引力となって引き寄
せたシンクロニシティ(必然の一致)だと思えます。

もし、ウェストが原稿を破り捨てようとしたその瞬間に、メイ
ドが庭でハリネズミを見つけなかったら、あるいは、見つけて
も大声で呼ばなかったら、代表作『ハリエット・ヒューム』は
生まれてないかもしれません。



フランク・ジョセフの著書には、釈迦のケースも紹介されてい
ます。

長い苦行と断食で歩けなくなった釈迦は、悟りが得られないまま、
ある日、道端にへたり込んでいました。
すると、遠くのほうから大道芸人たちの音楽が聞こえてきたので
す。



やがて釈迦は、女性の歌声に引き込まれていきました。
こんな歌です。
「シタール(インドの楽器)の音は、高すぎても低すぎてもだめ。
弦を張りすぎたら切れてしまう。
シタールの音は、高すぎても低すぎてもだめ」

釈迦は、宇宙からの答えがこの歌を通じて示されたことを悟り、そ
の後、苦行をやめました。
この出来事は、釈迦の“中道の悟り”のきっかけになったのです。




さて、以上で紹介したような典型的なシンクロニシティの例に限ら
ず、私たちが人生で遭遇するなにげない出来事や出会いも、よく考
えてみれば、深い意味があることなのかもしれません。

よくよく考えてみてください。



例えば、
「もし、あの時、○○さんと出会っていなかったら、その1年後に
○○さんから△△さんを紹介してもらうこともなかったし、そうな
ると、△△さんから今の仕事を紹介してもらうこともなかったし、
さらにそうなると、夫(妻、恋人)と出会うこともなかったし・・」

そんなことってありますよね。



あなたが、今こうしてこの記事を読んでいることも、何かの必然な
のかもしれませんし、あなたの心の引力が引き寄せたことなのかも
しれませんよ(^_^)

このブログを通じてあなたと出会えて、嬉しいです♪




必然の出会いについて、作家の宮本 輝さんが、『命の器』という
エッセイの中で、次のようなことを書いておられます。

----------------------------------------------------------------

運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながり合っていく。
へんくつな人はへんくつな人と親しんでいく。
心根の清らかな人は心根の清らかな人と、
山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。

実に不思議なことだと思う。
“類は友を呼ぶ”ということわざが含んでいるものより、
もっと奥深い法則が、人と人の出会いをつくりだしている
としか思えない。


どうしてあんな品の悪い、いやらしい男のもとに、あんな
人の良さそうな美しい女が嫁いだのだろうと、首をかしげ
たくなるような夫婦がいる。
しかし、そんなカップルをじっくり観察していると、やが
て、ああ、なるほどと気づくときがくる。

彼と彼女は、目に見えぬその人間としての基底部に、同じ
ものを有しているのである。
それは性癖であったり、仏教的な言葉を使えば、宿命とか
宿業であったりする。


それは事業家にもいえる。
伸びていく人は、たとえどんなに仲がよくとも、知らず知
らずのうちに、落ちていく人と疎遠になり、いつのまにか、
自分と同じ伸びていく人とまじわっていく。

不思議としか言いようがない。
企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、そのようになっ
てしまうのである。


最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中の
ひとつに気づいた。

「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。
でなければどうして、「出会い」が、ひとりの人間の転機
と成り得よう。


私の言うことが嘘だと思う人は、自分という人間を徹底的
に分析し、自分の妻を、あるいは自分の友人を、徹底的に
分析してみるといい。

「出会い」が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。

----------------------------------------------------------------
(『命の器』 宮本 輝 著 より、一部要約)

小林正観さんの「究極の損得勘定 - 損得で考える宇宙法則」
のポイントをまとめた内容を引用で紹介します。

◆ 「そわか」の法則
般若心経の最後の部分は「ボウジ ソワカ」と言います。
この「ソワカ」とは「事が成る」「事が成就する」という意味です。神が人間の成す行為の中で好きなものは、「そわか」の3文字のようです。
「掃除」の「そ」、「笑い」の「わ」、「感謝」の「か」の3文字です。この3つの行為を続けている人間を、神さまが応援しているように思えます。
「そわか」の1番目は「掃除」です。
神さまは「きれい好き」らしいのです。
「姿かたち」がきれいな人、心がきれいな人、「水まわり」や「身のまわり」をきれいにしている人を神さまは支援・応援します。
2番目は「笑い」です。
「笑い」とは肯定すること、受け入れること、共鳴、共感すること。
「笑顔」や「笑い声」は、宇宙や地球が神の為した行為を、「肯定的」に受け止めた、ということにほかならないのです。
笑える人は肯定的な人、受け入れられる人、明るい人。
3番目は「感謝」です。
「ありがとう」の言葉を言っているだけでいろいろな奇跡が実際に起こっています。
「ありがとう」の源の言葉は「ありがたし」。
人の力ではできないことが成されたとき、「有り得ないこと」(が起きた)たというので「ありがたし」と言いました。
「ありがたし」「ありがとう」という言葉は、神をほめたたえる言葉、神に対しての感謝の言葉だったのです。
人に対して使われるようになったのは室町時代以降のことでした。
「ありがとう」を言われ続けたら、神さまもその人に対して好意的になるのではないでしょうか。
「ありがとう」だけでも神さまを味方につけることができるのですが、それに加えて「掃除」と「笑い」が加わるのです。
神さまが強い味方になってくれそうではありませんか。

◆ トイレ掃除のもう一つの効能 ウツが治る
トイレ掃除をやり続けていると、臨時収入があるという話をしてきました。さらに、素手でやると臨時収入の0がひとつ増えるということを言ってきました。
トイレ掃除の効果はそれだけでなく、「精神が安定する」ということなのです。
怒らなくなって、イライラしなくなった。
いつも冷静でいられるようになりた。
今が人生の中でいちばん心が安定し、楽しい。
子供に対して怒鳴ることがなくなった。
以前、1年に12人のウツ病患者の方が私の前に現れたので、「治りたいですか」と聞いてみました。
8人の方が治りたいと答えたので、「では、トイレ掃除をやってみてください」と言いました。
治りたい人はワラにもすがる思いでやるのです。
すると、8人ともウツ病が治ってしまったのです。
いちばん短い人で1ヶ月、長い人も半年ほどで治ってしまいました。
なぜだかはわかりませんが、治ったという事実が存在しているのです。

◆ 打ち出の小槌
自分の口からでてくる言葉は、「言えば言うだけもう一度それを言いたくなるような現象が降ってくる」というのが、宇宙の法則です。
「嬉しい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」という7つの喜びの言葉を、七福神ならぬ「祝福神」と名づけました。
「祝福神」を言っていると、またその言葉を言いたくなるような現象が自分の身を取り囲むのです。
その数が多ければ多いほど、本人が想像する以上の喜びの出来事が起こり始めます。
逆に、「世の中はそんなに甘くない」と言っていると、いつまでも「甘くない」状況に囲まれるのです。
この宇宙法則は、自己啓発セミナーで教えているような、「思い続ければ夢は叶う」というものはないようです。
「ありがとう」を年間1万回言ったとしたら、また「ありがとう」と言いたくなるような現象が、1万個降ってきます。
「打ち出の小槌」は実は自らの言葉だった。
「言葉は神なりき」
言葉はオールマイティの力を持っているということです。

◆ 「祝福神」でウツ病を治す
トイレ掃除のほかにもうひとつウツ病を治す方法として、「祝福神」を言い続けることです。
「うれしい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ツイてる」という7つの肯定的な言葉だけを言い続け、否定的な言葉を使わないでいると、元気になるようでです。
「祝福神」を3000回言ったところ、一週間でウツ病が治ったという報告がありました。
本人が、ウツ病が治ったと電話してくること自体すでにすごいことですが、一週間でウツ病が治ったという事実にも驚きました。

◆ 脳は神の領域にある
目の前のことを「楽しい」と思った瞬間、エンドルフィンという快感を感じさせる脳内物質が分泌されます。
過去の楽しかったことを思い出しても、また、未来ことを楽しく想像しても、目の前に楽しいことがあるかのように、βエンドルフィンが出ます。
つまり、脳というのは、現在・過去・未来という時間的な区別認識ができないということに気がつきます。
実は「神」の世界にも、時間という概念がないらしいのです。
現在・過去・未来という時間的認識がない。
ゆえに、脳は、「神」と「人間」の間、つまり三次元と四次元の間、3.5次元のところに存在しているのかもしれません。
脳だけ「私」より先に神の領域に行ってしまっているようなのです。
「神様、~してくださってありがとう」と、先にお礼を言ってしまう。
神は「あ、まだやっていなかったっけ」と思うらしく、律儀にもお礼を言われた通りのことをやってくれます。
先にお礼を言われたら違和感を感じますが、神はその前後の認識は関係ないのでしょう。
四次元には時間・空間が存在しないのです。

◆ 宇宙に問題は無い
自分の思い通りにできないことが「悩み」だと思っている人が大多数のようです。
相手を変えようとか、目の前の現象を変えようと思っているうちは、問題は解決しません。
なぜなら、宇宙にはもともと問題は無いからです。
現象は「ゼロ」なのです。
幸も不幸も、そう思う心があるだけ。
結局私たちは、「ゼロ」の現象を、自分の感覚で評価し、気に入らないと言っているだけです。
三次元的な問題解決方法には3通りの方法がありました。
1. 目の前の人・物・現象を、自分の気に入るように作り変える
2. 逃避
3. 我慢
この方法の他に、四次元的解決方法というものがあります。
それは、「気にしない」、ボーっとすること。
さらに、五次元的解決方法があります。
それは「気にならない」というものです。
宇宙に不平不満を投げかけると、投げかけたものは返ってくることになります。
結局は自分にとってものすごく損になります。
その反対に、喜ばれるように生きていくと、喜びに囲まれることになります。
簡単な構造です。

◆ 夢も希望もない暮らし
夢や希望を持たなければならない、と私たちは言われ続けてきました。
そのため、常に今の自分を好きになれず、「まだまだ、もっともっと」と、死ぬまで言い続け、一生満たされることはないかもしれません。
学校教育や社会の中で洗脳されてきたのにすぎないのかもしれません。
私は、「夢も希望もない暮らし」をしていますが、そのほうが楽で楽しい人生になっています。
人間は、頑張るために生まれてきたのではなく、喜ばれるために生まれてきたらしい。
人は、一人で生きているときは「人」。
人間は人の間に生きているから、「人間」なのです。
このようなタイプの人間の根幹を成すものは「感謝」です。
「私」の力なんかまったく無い、周りの人によってはじめて生かされていると気付くことが「感謝」です。
あらゆる人に世話になりながら生きているとき、「私」の力なんて「まったくない」。
全部お蔭様であるということに気がついたら、いつもニコニコしながら「ありがとう、ありがとう」と言うことになります。
その「ありがとう」を言われた人はみんな「私」の味方になってくれる。
だから自分の努力はどうでもいいのです。
持っているエネルギーすべてを、「ありがとう」に使ったほうが得なのです。

◆ 「おかえしの法則」
人間にエネルギーを吹き込むものベスト3というのは、「感謝」「笑顔」「賞賛」の3つです。
この3つの頭文字をとって「おかえしの法則」と名付けました。
「ありがとう」と感謝されること。
「笑顔」を向けられること。
何でもいいから「賞賛」されると、人間は元気になるらしい。
「賞賛」「感謝」「笑顔」をたくさん浴びた物質は、エネルギーを貯めているのだそうです。
もし家族の中に、病気の人やウツ状態の人がいるとしたら、「ありがとう」の言葉や笑顔が足りないのかもしれません。
「ありがとう」という言葉は、心がこもっているかどいうかよりは、とにかく数が多いことが重要のようです。

◆ 男は女の賞賛次第
男の子がバカのまま一生を終えるか、天才に育つかは、「身近にいる女性の賞賛」次第のようです。
女は優秀なので褒められなくても自分でちゃんとやれるのですが、男はそうはいかない。
弱いうえに単純(バカ)だからです。
おだてられると、男は登れないはずの木にも登ってしまうのです。
賞賛するとモチベート(やる気になる)されるのは、女よりも男という傾向があるということです。
男は理性的で女性は感情的だと思われていますが、全く逆です。
男は好きか嫌いかでしか動かない。
どうして奥さんの言うことを聞かないかと言うと「嫌いだから」です。
なぜ嫌かというと、「賞賛」してくれないからです。
あらさがしばっかりで文句ばっかり言っているからです。
男は生命力がもともと弱いために、「賞賛」というエネルギー源が女性より多く必要で、それがないと生きていけないらしいのです。
男は、女が「賞賛」という名のネジをまくと、一気に抜きん出た人物になり、新しい文化・文明を創り出し、時代の先端を切り開いていくというように神は造ったらしいのです。
そして夫に関しては、本当に心から思っていなくていいですから、何でもいいから賞賛を浴びせること。
何でもいいのでとにかく褒める。
そうするとどんどん元気になり、よく働くようになります。
男の才能を開花させるのは、女がカギをにぎっているのだということなのです。

◆ 温かさを感じて生きる
「ありがとうの法則」というのは、自分が自分の意思で生きているのではなく、ありとあらゆるものの支援によって生きているということがわかるということです。
それがわかると、三次元的な周囲の人間も、四次元的な存在も、すべてを味方につけることができます。
人間は、迷惑をかけなければ生きていかれない存在なのです。
だから、すべてのものに感謝をしながら生きていくほうが本質なのかもしれません。
これは簡単な構造であるがために、西洋文明的な人生観の中で生きてきた私たちには少し抵抗があるかもしれません。
人から温かさを求められたら、自分もできるかぎり温かさを提供することにしませんか。
頑張らない、闘わない、競わないという人々の社会は、ただ温かさだけが満ちているのです。

野口さんのブログからの抜粋です。



偉大さは「支配」ではなく「仕えること」から生まれる



しかし実際は、「支配」を目指している人が多いのです。

たとえば、
「自分の知名度を上げて、多くの人からの尊敬を得たい」
「自分の事業を大きくして、たくさんの人間の上に立ちたい」
「自分の味方を増やして、強い影響力・発言力を所有したい」



このように「支配」を目指すと、有能な人間になれるかもしれないが、
真に偉大な人間にはなれない、 とワトルズ氏は言っています。

その例としてナポレオンを挙げています。
ナポレオンは優秀で有能な人だったが真に偉大な人にはなれなかった、
と氏は言います。



一方、人は「仕えること」に行動を注ぐと、自分の中の偉大さが目覚
めてきます。

たとえば、
「働いて収入を得ることで、家族の幸せに貢献したい」
「自分の事業を通じて、従業員やお客様に奉仕したい」
「自分の人生を通じて、社会や地球の役に立ちたい」



ここでいう「仕える」とは、決して自分を犠牲にしてまで他人に奉仕
することではありません。
自分の能力を最大限に活用し、自分自身を最高に生きることこそ、真
に「仕える」ことである、とワトルズ氏は言っています。

その例として、リンカーンを挙げています。
多くのアメリカ人が、リンカーンを偉大な大統領だと認めるのは、リ
ンカーンが奉仕の精神に満ちた大統領だったからです。

(「思いと実現の法則」ウォレスD.ワトルズ著、イーストプレスより)




さて今月は、映画やビデオもいろいろ見ましたが、その中でまさに
「仕える」ことについて考えさせてくれるビデオがありました。

それは、『マザ-・テレサ』です。
マザー・テレサをオリビア・ハッセーが見事に演じています。



マザー・テレサは、「最も貧しい人たちを助けたい」とは言わず、
「最も貧しい人たちに仕えたい」と言って活動を始めました。

その精神に動かされ、多くのシスターたちがマザーと行動を共に
するようになります。



マザー・テレサたちが施設を作ったとき、地元住民は強く反対し、
施設撤去を求める運動が起こりました。
なにしろヒンズー教徒の国ですから、キリスト教のシスターは信用
してもらえなかったのです。

しかし、一人一人の人間を尊重し、心から奉仕するシスターたちを、
住民は尊敬心を持って受け入れるようになっていきました。



さて、映画には出てきませんでしたが、マザー・テレサが亡くなった
とき、インドでは国葬が行われたのです。

国家元首でも首相でもないのに、異例の国葬です。



マザー・テレサが、どれほどインドの国民に愛されていたかわかりま
すね。

マザー・テレサも真に偉大な人だったのです。



マザー・テレサの言葉を以下に紹介します。

--------------------------------------------------------

人は不合理 非理論 利己的です
気にすることなく人を愛しなさい

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく善を行いなさい

目的を達成しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなくやりとげなさい

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れ去られるでしょう
気にすることなくし続けなさい

あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい

あなたの作り上げたものが壊されるでしょう
気にすることなく作り続けなさい

助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく助け続けなさい

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい
蹴り返されるかもしれません
それでも気にすることなく最良のものを与え続けなさい

(マザー・テレサ)
--------------------------------------------------------



マザー・テレサの言葉が教えてくれるのは、まさしく「仕える生き方」
「偉大な生き方」ですね。


外国でがむしゃらに必死に生きていると忘れてしまうことがある。


昔(日本にいたとき)はそうじゃなかったのに・・・・・って


なんで変わってしまったのだろうと


どうしてこんな風になってしまったのだろうと


「日本のやり方で生きていたらここでは食い物にされてしまう。」


必死に自分を守っていたら、なんだか「心が荒んでしまった」ような気がした。


「こんなんじゃ、だめだ!」


この街に呑まれたくない!


野口さんの話は、本来の自分にもどしてくれるような気がする。


心のビタミンみたいなものだ。


マザーテレサの言葉は心に響きます。